春 | 春季彼岸会 | 春分の日前後3日間 |
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降誕会(花まつり) | 4月8日 | |
夏 | 大施餓鬼会 | 5月21日 |
盂蘭盆会 | 棚行( 7月13日~15日) | |
秋 | 秋季彼岸会 | 秋分の日前後3日間 |
十夜会 | 10月17日 | |
一葉忌 | 11月23日 | |
冬 | 仏名会 | 12月15日 |
修正会 | 1月1日 | |
節分会 | 2月初旬 |
もともと、「彼岸」とは、こちらの岸(此岸=迷いの世界)から迷いのない世界(彼岸)に到るという「到彼岸」を意味します。昼夜を等しく分ける春分の日と秋分の日を中道(偏らない心)になぞられて、それぞれの日を中日とする各1週間を仏教の修行週間とし、六波羅蜜(ろっぱらみつ)という6つの修行を心掛けました。しかし、それが叶わぬ凡夫の自覚を持った時、阿弥陀さまの「我が名を呼べ、必ず救いとる」と仰る御本願がいよいよ有り難く感じずにはいられません。 南無阿弥陀仏とお唱えしながら、先にお浄土に往かれた大切な人々に思いを馳せ、夕日が沈むその先にある西方極楽浄土でいつか必ず再会が叶うことを、しっかり血に肉に受け取り、お念仏を申す期間です。
4月8日のお釈迦さまの誕生日をお祝いする法要で、一般的には「花まつり」として親しまれています。お釈迦さまは、花咲き誇るルンビニーでお生まれになり、この時、右手で天上を左手で大地を指し、「天上天下唯我独尊」と宣言されました。その時、天に竜王が現れ、甘露の水を降らせお釈迦さまを讃え洗い清めたのです。これは、「天にも地にも、私たち一人ひとりの命はこの上なく尊い」という意味で、命の尊さを説いています。この故事にちなんで、お寺ではお釈迦さまの像に甘茶を掛けて祝福します。
お盆は私たちがご先祖さまと過ごす大切なひとときで、正月と並ぶ大きな行事となっています。正式な名称は盂蘭盆(ウラボン)といって、インドのサンスクリット語のウランバーナ(逆さ吊りの耐え難い苦しみ)の音写からきています。
昔、お釈迦さまの弟子の目連(もくれん)が「餓鬼道」に堕ちている母を救うため、十方の僧を招き、百味飲食(沢山のご馳走)を供養し、その功徳で母を救うことができました。目連尊者が母を想った気持ちは、ちょうど私たちが亡き家族や先祖を想う気持ちと同じではないでしょうか。そのような気持ちを持つ時、実はそれはお浄土からのお知らせなのです。
私たちのご先祖さまは、阿弥陀さまのお導きによりお浄土で仏さまとして私たちを見守ってくださっています。お盆は、年に一度、ご先祖さまが私たちの家に帰ってこられ、ゆっくりと一家だんらんを過ごされる語らいの時であり、ご先祖さまへ孝を尽くす御霊まつりなのです。
そんな気持ちから、きゅうりで馬を作り、そうめんで天の川を作り、迎え火を焚いてご先祖さまをお迎えします。そして、私たちと過ごしたあとは、「ゆっくりと牛に乗ってお帰りくださいね」と、なすで牛を作り、送り火を焚いてお送りします。この3日間、法真寺本堂では、午前と午後に「お棚行」を行います。(先祖代々の位牌や過去帳をお持ちいただきます)
お釈迦さまの弟子の阿難(あなん)尊者が修行している最中、真夜中に口から火を吐く焔口餓鬼が現れ、「そんな修行を繰り返していてもおまえの命はあと3日、そしておまえは餓鬼道に墜ち苦しむのだ」と告げられました。お釈迦さまにその旨を伝えると、「佛、法、僧の三宝に供養し、さらに多くの迷える餓鬼たちに百味飲食を施しなさい」と説かれ、その通りに励行して長寿を得られました。
施餓鬼会は、多くの僧の読経、廻向によって餓鬼の苦しみから脱せしめんとする法会であり、同時に、有縁無縁の仏、生きとし生けるものすべてへの供養を通して、与えられた命に感謝し、長寿を祈願する法会です。そして、自分の心に住む餓鬼を阿弥陀さまの功徳の一つである光明の中に救いとっていただくのです。
もともと、十夜会は、陰暦の10月5日の夜から10月15日の朝までの十日十夜にわたる法要でした。浄土宗で最も大切なお経の一つである「無量寿経」の中では、「この世で十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千年間善行をすることよりも尊い」と説かれています。この教えを実践するのが十夜会で、十日十夜の間の一日、お寺で南無阿弥陀仏とお念仏を唱えながら善根を積み、阿弥陀さまのお慈悲に触れさせていただきます。
年末に一年を振り返り、南無阿弥陀仏とお念仏の功徳によって、この身に積み重ねてきた罪業を懺悔し、その罪の報いが滅するように祈願する法要です。南無阿弥陀仏と唱えながら、礼拝を行います。法真寺では、この日を御身拭い式として、大掃除をします。掃除は場所をきれいにするだけでなく、心もきれいにします。一年の心の垢を落として、清浄な気持ちで新年を迎えていただきます。
一年のはじめに修める法会で、「無量寿経」に説かれる「天下和順日月清明風雨維持災所ホ不起国豊民安兵戈無用崇徳興仁務修礼譲」(仏の赴くところ、天候は穏やかになり、太陽も月も清らかに輝き、雨風もちょうどよく、災害や疫病も起こらない。国も豊かに栄え、戦争が起こることもない。人々は他人のよいところを尊び、思いやりながら、つとめて礼儀正しくし、また譲り合う)を唱え、諸仏の護念を祈念する法要です。 本堂で、阿弥陀さま、歓喜天さまに、年頭の抱負をご報告し、その年のお導きを願います。
もともと、節分とは「季節の節目」を意味します。季節の節目には百鬼夜行するといわれていたため、中国の宮中を起源とする「追難」(鬼や災難を追い払う)の儀式が定着し、「鬼は外、福は内」と豆をまいて鬼を追い払うようになりました。 しかし、鬼はどこにいるのでしょうか。「心の底の奥の院、訪ねてみれば鬼が本尊」などという歌もあります。鬼は、私たちの心の中にひっそりと隠れているのかもしれません。もし、心の中以外にも鬼が周りにいるのなら、ともどもに阿弥陀さまに救いとっていただくしかありません。節分会は、そんな願いを込めた法要です。